こんにちは、しょーいです!
育児あるあるですが、子どもが出先で落とし物をしてちょっとした一大事になったんですね。
すぐ気付いたのが幸いして来た道を引き返すだけで見つかったのですが……
他人への注意って、叱るより難しいと思ったんです。
忠告が予告になった
長女はめったに着られないおしゃれ服を着ていたのですが、普段着にはない大きなリボンが気になる様子。
手元で取ったり外したりを繰り返していました。
親としては、なくす前に注意するわけです。
「つけたり外したりしていると落としちゃうよ。
カバンにしまうか、つけっぱなしにしなさい」
と。
そして実際に落として探し回ることになったわけです……。
人は見られたとおりに振る舞う
子どもに対して、
「AしてるとBになるぞ!!」
って言い方するときありませんか?
さらにさらに、その忠告が現実になったとき
「ほら、やっぱり」
と口にしないまでも思ったことはありませんか?
人への注意は言い方を間違えれば、予告になって暗示になります。
とくに親から子、先生から生徒、上司から部下のように力関係があるとなおさら。
転職で評価が180度変わった理由
私自身、新卒の会社では「給料泥棒」と言われるレベルで仕事ができなかったのですが
2社目では「ホームラン」とまで褒められました。
今思えば、仕事のやり方が変わったというより能力を何パーセント発揮できたかの問題だったのでしょう。
「給料泥棒」と言われていたから10%も能力を発揮できなかった。
「ホームラン」と言われたら200%の力で働けた。
信頼されているという安心感が、能力の殻を破ってくれたのだと思います。
注意と声かけの使い分け
今日、子どもが実際にリボンをなくしたときも
「つけたり外したりしていると落とすよ」
というのは余計な一言で
「大事なものだからカバンにしまっておこうか」
で充分だったんです。
子ども自身や周囲に危険がおよぶような場合は厳しい叱責・注意が欠かせません。
でも、モノへの慈しみや立ち居振る舞いを教えるような場面では、条件付けのことばよりもポジティブな言い方が重要だと感じました。