こんにちは、しょーいです!
ずいぶん更新が止まっておりまして……。
Twitterをご覧の方以外はお久しぶりですー(^^;
「仕事が落ち着いたらブログ書こう……」
と思って早4ヶ月。
そんなときは永遠に来ないとようやく気付いたので、
腹を決めてちゃんと更新することにしました←
久しぶりの更新は、映画の感想からスタート。
ストーリー上のネタバレはありませんが、セリフは書いていますので、
1ミリたりとも知りたくない方はブラウザから回れ右でお願いします。
今回は最近の自分の生活がすさまじかったので、もう、胸に響きすぎて……。
審神者(刀剣乱舞のプレイヤー)としての自分よりも、リアル実生活の自分に突き刺さる内容でした。
推し語りするにはもう2度くらい観ないと消化できない、この傷は。
では、ネタバレ回避でブラウザバックするならこの辺が限界ですお願いします(・人・)
「俺の人生は何だったのだ」という絶望からの光
千年を生きる物の言葉は違う。
「人生に意味はあるのか」と問われたとき、「意味などない」と返すのは生きた無機物だった。
……小烏丸さぁぁぁん!!!
って叫びたかったですね、はい。
人に使役される物が、使い手たる人に「人生は無意味だ」というのは反抗にも思えてしまう。
確かに、100年そこらで(戦国時代は50年程度で)終わる人の生なんて、
鋼から生まれて何百年と残る刀に比べれば無意味に映るのかもしれません。
小烏丸とは、直刀と日本刀の中間のような、日本刀の祖とされるいにしえの太刀。
それだけ長くこの世にあり、それだけ長く人の世を見てきた刀です。
しかし、「意味などない」と言い放った小烏丸が続けた言葉は、「ただつながっていくだけ」。
そこにあるのは冷たさではない。呆れでもない。
必死に生きる人への温かい眼差し。
人の生き様を守る。物語を守る。
自らが”物”だからこそ守りたいんだろうなぁとすら思わせる。
人が人の生き様を笑うことはできない
足利輝義が「後世の人間は俺を笑うのだろう」と問いかけたとき、
小烏丸は「そのようなものがいれば、斬ってくれようぞ」と応えた。
本作のメインキャラクター、日本刀剣の付喪神である”刀剣男士”たちは
歴史改変を試みる者と戦い正史を守る、というのが役目です。
小烏丸さんもその一柱。
つまり、歴史を守る刀剣男士が過去の人間を笑ったというだけで
人を斬っていたら大問題なのだけど、それをあっさり口にしてしまう。
この矛盾たるや……!
実際はしない、というかやってはならないことを「やりましょう」と口にする。
言い換えれば、後世の人間は誰一人として足利義輝を笑えない、ということ。
これ以上の全肯定がありましょうか。
能率主義へのアンチテーゼ
現代は能率主義と言われて久しいです。
最近は「コストパフォーマンス」を通り越して「タイムパフォーマンス」なんて言葉も出てきました。
YouTubeも倍速再生が当たり前。キャラクターの間や呼吸を感じるような映像作品にまで倍速機能がついています。
1分1秒をすべて「意味のある時間」にしなくてはいけないような強迫観念を、私はしばしば感じます。
意味のない時間はムダだと言わんばかりに、
書店、Web記事、YouTubeと
どこにだって効率至上主義がはびこっているように見えてしまう。
効率が悪ではないけれど、効率が良くなればなるほど削れる場所をさまよい求めて苦しいのも確か。
そこにきて本作、小烏丸さんの
「意味などない、ただつながっていくだけ」
ですよ。
私自身、ライフハックとかタスク管理とかタイムマネジメントとか、
いろいろ調べて実行してきたクチなので分かります。
効率を追求したって、
それができる人とできない人がいるんだよ。
それが心地良い人と心地悪い人がいるんだよ。
社会に合わせて慣れない仮面をかぶる
「年収800万円を境に、収入が幸福度に与える影響は小さくなる」
というお話を聞いたことある方も多いでしょう。
出典↓:
金銭だけでなく時間についても同じ事が言えそうだと、今回感じました。
世の中は変わりつつあるとはいえ、
まだまだ合理的で効率を重視する人間の方が重宝されやすいですし、活躍も比較的目立ちます。
野比のび太のような生き方が全面肯定されているとは考えにくい現状。
昼寝ばかりして勉強(仕事)もロクにできない人を
「いざという時のためにエネルギーを蓄えているんだ!」
とそのまま認めてくれる人はそうそういません。
私もどちらかといえば効率重視の人間で、いわゆるビジネス書は毎月2冊程度は読む方です。
社会人一年目の会社でいっしょに働いていた上司&先輩がバリバリ昭和世代の思考だったので、
評価されようと必死だった当時の癖も多分に残っているせいだとは思いますが……。
ただ、最近周りから指摘されて気付いたんです。
私は本質的には、そこまで合理的でもなければ、きっちりしっかりマジメってわけでもないって!!
社会に順応するためにどうにかこうにか身につけて、人並みにごまかせるようになったというか。
人の生き様そのものが歴史になる
周りの求めに応じて必死に順応しようとして、倒れた私。
現実を変えようと必死に抗い、変えられないまま生を終えようとする足利輝義。
歴史に名を残す傑物と、何者でもない自分を比較するなんておこがましいにもほどがありますが、
現実に対する無力感を抱えているという一点は同じ気がしてならないのです。
足利輝義は移りゆく時代にされるがままの自分を直視し、諦めようかというところでした。
しかし、三日月宗近はかつての主人である足利輝義の胸に燃える火に薪をくべます。
「今、思うままに生きよ」
この時点で足利輝義は史実=志半ばでの自分は死ぬと知っています。
つまり、足利輝義が思うままに生きるということは史実に逆らうということです。
先ほどの小烏丸のセリフと同じく、歴史を守る刀剣男士がその役目に反するようなことを言ってのける。
その裏には、「人一人が思うままに全力で生き抜いた先が正史である」と信じているからではないかと思うのです。
効率度外視で行動してみる
”思うままに全力で生きる”というのは、能率主義の対極にあります。
コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを第一に考えるなら、未来予測ができないかぎり動けないからです。
たとえば、今日から1週間後に締め切りの仕事があるとします。
完了目指して日々、時間と労力をかけて締め切り前日時点で完成度90%というところまで持っていきました。
しかし締め切り当日、なんと隕石が落ちてきて会社がなくなりました!!Σ(・□・)
……まぁ、隕石は極端ですが。
こういうとき、パフォーマンスだけ考えたら仕事に費やした時間も労力もムダなわけです。
しかし、結果は出なかったとしても、行動の過程で現実は変わります。
自分が目指す成果は得られなくとも、
必死の姿が周囲の人間の心を動かして人生を変えてしまうかもしれない。
自分の望みを自力で叶えられなくとも、同じ志の後継者が現れるかもしれない。
そうやって歴史は、人の営みは紡がれてきた。
数百年、千年を見つめ続けてきた刀剣男士が言うからこその実感がひしひしと伝わってきました。
さいごに:舞台への没入感が現実感を生む
そして何より、
キャラクターの実感を現実のものとして存在するかのように強烈な感動を与えてくれる、
俳優を初めとした舞台関係者のエネルギーがすばらしいっ……!
心をがっしりわしづかみされちゃいましたよ!!
劇場版でここまで感情を揺さぶられるのだから、
生舞台を見に行ったら私は沼に頭まで使ってしまう予感しかありません。
まぁ、推しキャラが出たらもう行く気満々なんですけど。もう知らなかったころには戻れない。
最後になりましたが、『刀剣乱舞』というコンテンツの魅力を一つ。
”歴史”から”人生”という哲学にまで昇華させてしまう深いエンターテイメント性!
これからの展開にも大いに期待です……!
読者の皆様におかれましては、趣味全開の長文にお付き合いいただき有難うございました!